総社駅をでて向かって左側に進みます。駐車場の入口を通り過ぎ、
次の角を左折します。
しばらくまっすぐ進んで行くと180号線の高架がみえます。高架の下をくぐって、広い駐車場の方へ右折して進みます。常に左側に桃太郎線(吉備線)の線路があるようにすすみます。
オレンジの矢印のあたりにむかって、駐車場を横切ります。
どんどん進みます。
コンクリートの壁が見えます。
線路とコンクリートの壁の間を進みます。左前方に踏切が見えます。
コンクリートの壁が途切れたところに踏切があるので渡ります。緑色の矢印の家が総社アートハウスです。玄関は右の方向です。
2017年9月30日土曜日
2017年8月9日水曜日
平家物語巻九 「一二之懸」早わかり
「一二之懸(いちにのかけ)」の「懸」とは、「言葉に出して言うこと」、万葉集にも用例がある、昔ながらの言葉です。とすると、平家物語のこの場面では、熊谷父子の一回目と二回目の名のりをいうのでしょう。
「武蔵国の住人、熊谷二郎直実、子息の小二郎直家、一の谷先陣ぞや」
「以前に名のッつる武蔵国の住人、熊谷二郎直実、子息の小二郎直家、一の谷先陣ぞや」
(さっきも名のったが、熊谷二郎直実、子息の小二郎、一の谷の先陣だ!)
「以前に名のッつる」、さっきすでに名のったよな、とにかくオレらが一番だ、という気持ちがビンビンと伝わりますね。
よく知られたところでは、宇治川の合戦における佐々木高綱と梶原景季の先陣争い、高綱が「あ、馬に鞍を固定する腹帯が緩んでるよ」と嘘をついて、梶原を出し抜く場面がありました。(巻九 宇治川先陣)
味方もライバル!源氏のメンバーは一番乗りできれば何でもありのようです。なぜなら、一番乗りの手柄をあげた者には大きな恩賞があたえられるから。熊谷直実ももちろんそれを狙っています。「一二之懸」に名前が見えている武将では、平山季重も成田五郎も狙っています。
一の谷の平家の陣の近くで、夜が明けるまで待機していた土肥二郎実平はちょっと油断しました。義経の命令をうけたのは自分だからと安心していたのでしょう。(義経と土肥は一万騎〔誇張アリ〕の軍勢で一の谷を目指していましたが、義経は三千騎を率いて山手にまわり、土肥は七千騎を率いて岸にまわって一の谷を西から攻めることになっていました)ところが、熊谷父子は・・・・
戦いは夜明けとともに開始?そんなの知らん、とにかく名のるぞ BY熊谷直実 平家は無視します。
平山季重が追いついてきたので、もう一度名のっておこう。証人が必要だからな BY熊谷直実
戦いが開始されます。直家は「生年十六歳」と名のって勇ましく突撃。ところが左腕を射られてけがをします。この時のパパ直実のアドバイスは、「常に鎧づきせよ、うらかかすな、錣(しころ)をかたぶけよ。内甲(うちかぶと)射さすな」。昔の鎧は小さな金属の板(札=さね)をひも(緒)で繋いで作っていましたから、金属の板と板の間のすき間ができると、そこに矢が刺さって危険です。すき間を作らないように常に鎧をゆすります。ガチャガチャ。錣は、甲の鉢に、鎧と同じく、小さな金属の板(札)をひも(緒)で繋いで首を防御します。なんとも危険な実地教習ですね。
大きな手柄を立てることを熱望する熊谷直実は、平家の名のある武将と戦いたいと呼びかけます。平家はこりゃかなわぬと退却。源氏の馬はよく鍛えてあって元気いっぱいだけど、平家の馬は舟に乗っている時間が長くて運動不足だし、飼い葉もろくに食べさせてもらっていないしで、へろへろでした。
とにかく一番乗りしたい、大きな手柄を立てたいと脇目もふらずに突進していた熊谷直実ですが、彼の気持ちを大きく変えるできごとが、このあとあります。
いやーおもしろかったですねー
続きはまたこんど、さよなら、さよなら、さよなら(笑)
「武蔵国の住人、熊谷二郎直実、子息の小二郎直家、一の谷先陣ぞや」
「以前に名のッつる武蔵国の住人、熊谷二郎直実、子息の小二郎直家、一の谷先陣ぞや」
(さっきも名のったが、熊谷二郎直実、子息の小二郎、一の谷の先陣だ!)
「以前に名のッつる」、さっきすでに名のったよな、とにかくオレらが一番だ、という気持ちがビンビンと伝わりますね。
よく知られたところでは、宇治川の合戦における佐々木高綱と梶原景季の先陣争い、高綱が「あ、馬に鞍を固定する腹帯が緩んでるよ」と嘘をついて、梶原を出し抜く場面がありました。(巻九 宇治川先陣)
味方もライバル!源氏のメンバーは一番乗りできれば何でもありのようです。なぜなら、一番乗りの手柄をあげた者には大きな恩賞があたえられるから。熊谷直実ももちろんそれを狙っています。「一二之懸」に名前が見えている武将では、平山季重も成田五郎も狙っています。
一の谷の平家の陣の近くで、夜が明けるまで待機していた土肥二郎実平はちょっと油断しました。義経の命令をうけたのは自分だからと安心していたのでしょう。(義経と土肥は一万騎〔誇張アリ〕の軍勢で一の谷を目指していましたが、義経は三千騎を率いて山手にまわり、土肥は七千騎を率いて岸にまわって一の谷を西から攻めることになっていました)ところが、熊谷父子は・・・・
戦いは夜明けとともに開始?そんなの知らん、とにかく名のるぞ BY熊谷直実 平家は無視します。
戦いが開始されます。直家は「生年十六歳」と名のって勇ましく突撃。ところが左腕を射られてけがをします。この時のパパ直実のアドバイスは、「常に鎧づきせよ、うらかかすな、錣(しころ)をかたぶけよ。内甲(うちかぶと)射さすな」。昔の鎧は小さな金属の板(札=さね)をひも(緒)で繋いで作っていましたから、金属の板と板の間のすき間ができると、そこに矢が刺さって危険です。すき間を作らないように常に鎧をゆすります。ガチャガチャ。錣は、甲の鉢に、鎧と同じく、小さな金属の板(札)をひも(緒)で繋いで首を防御します。なんとも危険な実地教習ですね。
大きな手柄を立てることを熱望する熊谷直実は、平家の名のある武将と戦いたいと呼びかけます。平家はこりゃかなわぬと退却。源氏の馬はよく鍛えてあって元気いっぱいだけど、平家の馬は舟に乗っている時間が長くて運動不足だし、飼い葉もろくに食べさせてもらっていないしで、へろへろでした。
とにかく一番乗りしたい、大きな手柄を立てたいと脇目もふらずに突進していた熊谷直実ですが、彼の気持ちを大きく変えるできごとが、このあとあります。
いやーおもしろかったですねー
続きはまたこんど、さよなら、さよなら、さよなら(笑)
2017年7月24日月曜日
2017年7月22日土曜日
与一@平家物語 その3 浅利与一義成 付、鎮西八郎為朝のこと
那須与一ではない与一の登場する場面を、さらにご紹介します。
『平家物語』巻十一 遠矢より
屋島の戦いに敗れ、ふたたび海にのがれた平家、とうとう壇の浦の戦いが始まります。
これはなんでしょう、弓の自慢合戦?ネーム入りの特注の矢が敵陣から飛んできました。
ちなみに那須与一の弓の長さは十二束三伏(じゅうにそくみつぶせ)。握りこぶし12個分と指の横幅三本分の長さです。1個の握りこぶしの人差し指から小指までの長さが「束」、1本の指の横幅が「伏」。多少の誤差はドンマイ。
この場面は、矢がどんどん長くなっていくのが、おもしろうございます。
平家方が射返した矢は、和田小太郎の後ろにいた三浦くんの腕に命中。三浦一族の者たちが、和田に文句を言います。怒った和田は敵の平家に八つ当たり。
じゃ、こんどは自分の矢を by新居紀四郎
源氏方、浅利与一が呼ばれて、新居の矢を射返せと命じられますが、
浅利与一の矢は新居紀四郎に命中。新居の「死生をば知らず」と平家物語にあります。
矢の長さは、各人の手の長さを基準に決めるといいますが、那須与一は「小兵といふぢやう」十二束三伏。身体は小柄であっても、十二束三伏の矢を射たと言う意味。十五束の矢を使っている浅利与一は、さぞや大男だったのでしょう。付 鎮西八郎為朝のこと
『保元物語』(新院御所各門々固めの事)によると、鎮西八郎為朝が「十五束」の矢を使っていたそうです。為朝は身長が七尺(約210㎝)に余るほど、左手の長さが右手の長さよりも四寸(約12㎝)長く、「生まれつきたる弓取(弓の名手)」と書かれています。さらに、五人張の弓を使っていたとあります。弓の強さは、弓の厚みに比例します。大勢の人が協力してようやく張ることができる強弓を、自在にあやつって矢を放つ、義経もそうですが、為朝にあこがれる武将は多かったようです。浅利与一も例外ではないでしょう。だって十五束の矢を使っているのですからね。
与一@平家物語 その2 金子与一親範
那須与一ではない与一の登場する場面をご紹介します。
『平家物語』巻十一 嗣信最期より
寒冷低気圧による暴風の中、大阪の渡辺津から無理矢理出帆した義経の一行は、阿波国(現在の徳島県)勝浦から大坂峠を越えて屋島に到着、うろたえて海上に逃げ出した平家と義経軍の戦さが始まります。
戦さの初めの悪口合戦も恒例になっていたようで、平家方の越中次郎兵衛盛嗣が大声で叫びます。
「さっき名のったかもしれないけど、よく聞こえなかったんですわ(ほんとうは聞こえている)今日の源氏の大将はどなたですかな」 …以下イラストにつづく
【なんとなくすばしっこいイメージがあるので、源氏はきつね、このころは泥の船に乗っているようなので、平家はたぬきのキャラクターを採用しました】
金子さんちの十一男、金子与一親範は、問答無用で矢を放つ恐いやつでした。
金子与一の放った矢は、越中次郎兵衛盛嗣の鎧の胸に、突き刺さったとか。盛嗣の運命やいかに。
与一は、那須与一だけではなかった
8月6日(日)総社市にある旧堀和平邸で「与一を語る」ワークショップを開催します。
暑い中ですが、颯爽とした金子あいさんの語りをお楽しみください。
与一といえば、屋島で扇の的を見事射落とした那須与一が有名です。
今回のワークショップも『平家物語』巻十一から那須与一の名場面を語ります。
でも、「与一」とは、「太郎」が長男、「次郎」が次男、「三郎」が三男・・「九郎」が九男、「十郎」が十男、そして、「与一」は十一男という意味です。生まれた順番を示しているので、男兄弟が十一人以上いれば、その家に「与一」がいるのは、普通のことです。男が十一人生まれることは、普通ではないかもしれませんが。
ちなみにウィキペディアには「与一は十あまる一、つまり十一男を示す通称である」とあります。「余」にはあまるという意味がありますが、「与」にはあまるという意味はありません。(ここは研究者の性分で、ついこだわってしまいます)「与」は「と」、つまり「与一」は十「と一」と言う意味だと考えられます。結果は同じく十一です。
平家物語の巻十一から別の「与一」が登場する場面を、イラストで紹介します。→与一@平家物語 その2、与一@平家物語 その3を御覧ください。
那須与一のフルネーム(?)は那須与一宗高です。
2017年5月12日金曜日
5月のくらしき古典部5/19
5月のくらしき古典部のお知らせです
日時 5月19日 13:30~15:30
場所 倉敷物語館 多目的ホール
前回から平家物語巻11を読んでいます。
林原美術館に行けば、平家物語絵巻巻11上巻の超高精彩画像(すごいネーミングですね)を、いつでも見ることができるようになりました。
ストーリーがわかれば、10倍楽しめるに違いないということで、4,5,6月は巻11をよみます。
4月は「逆櫓」を中心に読みました。義経と梶原が、これ以上ないほど相性が悪くて、笑ってしまいます。いいかげん男の範頼(義経の兄)が上司なら、梶原は能力を十分発揮できるのだろうな。現代でもありそうな話ですね。寒冷低気圧による暴風が吹き荒れる中、舟をださなければ殺す、とおどされた水夫たちがヒ~~~と言いながら(想像)、夜の海を猛スピードで進む舟を必死で操り、勝浦(現在の徳島県)に着いたあたりまでが、前回のお話です。
5月は、こんどは陸を、屋島にむかって駆けていきます。エピソード満載ですよ。
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林原美術館ホームページ
日時 5月19日 13:30~15:30
場所 倉敷物語館 多目的ホール
前回から平家物語巻11を読んでいます。
林原美術館に行けば、平家物語絵巻巻11上巻の超高精彩画像(すごいネーミングですね)を、いつでも見ることができるようになりました。
ストーリーがわかれば、10倍楽しめるに違いないということで、4,5,6月は巻11をよみます。
4月は「逆櫓」を中心に読みました。義経と梶原が、これ以上ないほど相性が悪くて、笑ってしまいます。いいかげん男の範頼(義経の兄)が上司なら、梶原は能力を十分発揮できるのだろうな。現代でもありそうな話ですね。寒冷低気圧による暴風が吹き荒れる中、舟をださなければ殺す、とおどされた水夫たちがヒ~~~と言いながら(想像)、夜の海を猛スピードで進む舟を必死で操り、勝浦(現在の徳島県)に着いたあたりまでが、前回のお話です。
5月は、こんどは陸を、屋島にむかって駆けていきます。エピソード満載ですよ。
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「デジタル常設展」スタート
関西大学との共同研究により、世界トップクラスの技術で撮影した『平家物語』や国宝「太刀 銘 吉房」などの超高精彩画像を、当館ロビーに常設しております。
展覧会期間中(貸館中を除く)は、いつでもご覧いただけます。
大迫力の画面で彩色や筆遣いなどご体感ください!
また、当館を代表する資料を網羅した『林原美術館名品選』の画像230点もご覧いただけます。
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大迫力の画面で彩色や筆遣いなどご体感ください!
また、当館を代表する資料を網羅した『林原美術館名品選』の画像230点もご覧いただけます。
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