2017年7月22日土曜日

与一@平家物語 その3 浅利与一義成  付、鎮西八郎為朝のこと

那須与一ではない与一の登場する場面を、さらにご紹介します。

『平家物語』巻十一 遠矢より

屋島の戦いに敗れ、ふたたび海にのがれた平家、とうとう壇の浦の戦いが始まります。
これはなんでしょう、弓の自慢合戦?ネーム入りの特注の矢が敵陣から飛んできました。

ちなみに那須与一の弓の長さは十二束三伏(じゅうにそくみつぶせ)。握りこぶし12個分と指の横幅三本分の長さです。1個の握りこぶしの人差し指から小指までの長さが「束」、1本の指の横幅が「伏」。多少の誤差はドンマイ。

この場面は、矢がどんどん長くなっていくのが、おもしろうございます。
平家方が射返した矢は、和田小太郎の後ろにいた三浦くんの腕に命中。三浦一族の者たちが、和田に文句を言います。怒った和田は敵の平家に八つ当たり。

じゃ、こんどは自分の矢を by新居紀四郎
源氏方、浅利与一が呼ばれて、新居の矢を射返せと命じられますが、

浅利与一の矢は新居紀四郎に命中。新居の「死生をば知らず」と平家物語にあります。
矢の長さは、各人の手の長さを基準に決めるといいますが、那須与一は「小兵といふぢやう」十二束三伏。身体は小柄であっても、十二束三伏の矢を射たと言う意味。十五束の矢を使っている浅利与一は、さぞや大男だったのでしょう。

付 鎮西八郎為朝のこと
『保元物語』(新院御所各門々固めの事)によると、鎮西八郎為朝が「十五束」の矢を使っていたそうです。為朝は身長が七尺(約210㎝)に余るほど、左手の長さが右手の長さよりも四寸(約12㎝)長く、「生まれつきたる弓取(弓の名手)」と書かれています。さらに、五人張の弓を使っていたとあります。弓の強さは、弓の厚みに比例します。大勢の人が協力してようやく張ることができる強弓を、自在にあやつって矢を放つ、義経もそうですが、為朝にあこがれる武将は多かったようです。浅利与一も例外ではないでしょう。だって十五束の矢を使っているのですからね。

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