2017年8月9日水曜日

平家物語巻九 「一二之懸」早わかり

「一二之懸(いちにのかけ)」の「懸」とは、「言葉に出して言うこと」、万葉集にも用例がある、昔ながらの言葉です。とすると、平家物語のこの場面では、熊谷父子の一回目と二回目の名のりをいうのでしょう。

「武蔵国の住人、熊谷二郎直実、子息の小二郎直家、一の谷先陣ぞや」
「以前に名のッつる武蔵国の住人、熊谷二郎直実、子息の小二郎直家、一の谷先陣ぞや」
 (さっきも名のったが、熊谷二郎直実、子息の小二郎、一の谷の先陣だ!)

「以前に名のッつる」、さっきすでに名のったよな、とにかくオレらが一番だ、という気持ちがビンビンと伝わりますね。

よく知られたところでは、宇治川の合戦における佐々木高綱と梶原景季の先陣争い、高綱が「あ、馬に鞍を固定する腹帯が緩んでるよ」と嘘をついて、梶原を出し抜く場面がありました。(巻九 宇治川先陣)

味方もライバル!源氏のメンバーは一番乗りできれば何でもありのようです。なぜなら、一番乗りの手柄をあげた者には大きな恩賞があたえられるから。熊谷直実ももちろんそれを狙っています。「一二之懸」に名前が見えている武将では、平山季重も成田五郎も狙っています。

一の谷の平家の陣の近くで、夜が明けるまで待機していた土肥二郎実平はちょっと油断しました。義経の命令をうけたのは自分だからと安心していたのでしょう。(義経と土肥は一万騎〔誇張アリ〕の軍勢で一の谷を目指していましたが、義経は三千騎を率いて山手にまわり、土肥は七千騎を率いて岸にまわって一の谷を西から攻めることになっていました)ところが、熊谷父子は・・・・



戦いは夜明けとともに開始?そんなの知らん、とにかく名のるぞ BY熊谷直実 平家は無視します。


平山季重が追いついてきたので、もう一度名のっておこう。証人が必要だからな BY熊谷直実

戦いが開始されます。直家は「生年十六歳」と名のって勇ましく突撃。ところが左腕を射られてけがをします。この時のパパ直実のアドバイスは、「常に鎧づきせよ、うらかかすな、錣(しころ)をかたぶけよ。内甲(うちかぶと)射さすな」。昔の鎧は小さな金属の板(札=さね)をひも(緒)で繋いで作っていましたから、金属の板と板の間のすき間ができると、そこに矢が刺さって危険です。すき間を作らないように常に鎧をゆすります。ガチャガチャ。錣は、甲の鉢に、鎧と同じく、小さな金属の板(札)をひも(緒)で繋いで首を防御します。なんとも危険な実地教習ですね。

大きな手柄を立てることを熱望する熊谷直実は、平家の名のある武将と戦いたいと呼びかけます。平家はこりゃかなわぬと退却。源氏の馬はよく鍛えてあって元気いっぱいだけど、平家の馬は舟に乗っている時間が長くて運動不足だし、飼い葉もろくに食べさせてもらっていないしで、へろへろでした。



とにかく一番乗りしたい、大きな手柄を立てたいと脇目もふらずに突進していた熊谷直実ですが、彼の気持ちを大きく変えるできごとが、このあとあります。


いやーおもしろかったですねー
続きはまたこんど、さよなら、さよなら、さよなら(笑)